私は秋田県の比内町という土地で生まれ育ちました。地名は知らなくても、比内地鶏は聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
人口は減り続け、平均年齢は上がり続ける。特産物の比内地鶏も生産者は減り続け、大雪や鳥インフルエンザの影響で生産が立ち行かない状況。
とは言え、日本では特に珍しくもない、いたって普通の田舎です。
達子森
そんな比内町には、古くから人々に親しまれてきた山があります。
その名は「達子森(たっこもり)」
森と名前になっていますが、実際には標高207mの小高い山です。「たっこ」とはアイヌ語の「タプコプ」からきており、「平地に突き出た山。たんこぶ山」という意味。その名の通り、達子森の周りは田畑と小さな集落のみ。
平地に不自然にそびえる小さな山は「弁慶がこの山を背負ってきて、ここで腰を下ろして一休みしたところ、山に根が生えて動かなくなってしまった」「八郎太郎が湖をつくるために山を運んでいく途中で置いていった」という伝説があるほど。
薬師様
山頂には「薬師神社」という無人の神社があり、薬師様という神様が祭られています。
近隣住民は、家族が亡くなると遺影を薬師神社に奉納し、四十九日の間に5回参拝します。そうすることで亡くなった家族が早く極楽浄土できると信じられているからです。
また、初詣も薬師神社を参拝します。豪雪地帯のこの地で、懐中電灯の灯りのみを頼りに雪山を登るのはなかなかのサバイバルでした。
山の麓は広場になっており、春はお花見や集落の運動会などで住民にとっての憩いの場になります。ちょっとしたスキー場や温泉もあります。
過去に罰当たりにも薬師神社のお賽銭を盗んだ人がいました。偶然かもしれませんが、その人の家が全焼したという実話もあります。
神様がいるという達子森。私は信仰心が薄いのですが、達子森には何か神秘的なものを感じ、子供の頃から「達子森に見守られているんだ」と信じていました。
達子森が住民から愛され、神秘的な力があるということは理解して頂けたでしょうか。
達子森アタック
高校卒業後、地元を離れて暮らすようになり数年経ったある春。
里帰りした私は、暇だったので久しぶりに達子森に登ることにしました。天気も良く、新緑の季節を迎えた達子森は緑が茂り、木々も気持ちよさそうに呼吸しています。
「おかえり」
神様がそう言ってくれているようにも感じます。
達子森は小高い山なので、ゆっくり登っても山頂まで1時間もかかりません。
子供の頃は誰が1番に神社に到着するか友達同士で競争したりしてましたが、今回は大人ののんびり1人登山です。
久しぶりの大自然とおいしい空気を満喫しようと、缶ビールとパックに入った焼きそばも持参しました。
入口の鳥居に一礼し、いざ達子森へアタック!
耳に入るのは鳥の鳴き声と風に揺れる草木の音のみ。目に映る景色は懐かしいようでどこか新鮮。参道の石は子供の頃より小さく感じます。
「いつか結婚して子供が生まれたら必ず連れて来よう」
そう思わせてくれる、まさに母なる山。
「ガサガサ・・・」
「???・・・」
生きとし生ける物へ
私が森山直太朗の「生きとし生ける物へ」を熱唱していると、草むらで何かが動く音がしました。
私は登山者かと思い、直太朗を中断して真っ赤な顔で振り返りました。
しかしそこに人影はありません。
「良かった・・・」
人に聞かれていたら即下山レベルの直太朗だったので誰もいなくてホッとしました。
「・・・」
「誰もいない?」
「人じゃない?」
人じゃないということは、人であった方が良かったとなる場合が非常に多いです。
例えば熊。あとは蛇、鹿、猿などの野生動物が考えられます。
どの動物もサシじゃ勝てません。
所詮人間なんて道具を使うことが出来なきゃ生き物の最下層です。非力な二足歩行に出来るのは神頼みのみ。
しばしのフリーズののち、歌を「さんぽ」に変更して先を進むことにしました。
きっと「生きとし生ける物へ」を歌ったりしたから山の動物達を呼び寄せたのでしょう。もしくは「花は枯れ大地は罅割れる」なんて縁起でもない歌詞が山の機嫌を損ねたのかもしれません。
それに対して「さんぽ」は平和そのもの。歩くのが大好きなだけの歌ですからね。
ただ、後半の歌詞が分からず検索したら
きつねも たぬきも 出ておいで
探検しよう 林の奥まで
※友達たくさん うれしいな
※リピート
という恐ろしい歌詞でした。
きつねとたぬきに化かされて林の奥に連れていかれる。そこからは二度と帰って来れない・・・その先で出来た友達とは一体・・・
戦いの始まり
「一体どの歌だと無事に帰れるんだよ・・・」
無駄に疲れた私は、山の中腹ほどにある休憩スペースで一杯ひっかけることに。本当は頂上で景色を見ながら飲む予定でしたが、喉も乾いたし焼きそばを狙って本当に動物に出くわしても嫌だったので。
リスクマネージメントが出来る動物、それが人間です。
自然の中で飲むビールは格別で、コンビニの焼きそばも陳健一が監修してるのかと思うほど絶品でした。
ところが、ビールの利尿作用と春風の冷たさで何となく嫌な予感が・・・
「今トイレに行きたくなったら・・・」
またしてもトリガーを引いてしまいました。誰もいないなら草むらでしちゃえばいいと思うかもしれません。しかし、ここは神様の山なのです。子供の頃から私を見守ってくれた薬師様の敷地内で、ねえ?しませんよね、普通。
今から下山しても実家までは歩いて30分はかかる。その間は建物もない田んぼ道。もし我慢出来ず道中でしようもんなら見晴らし良すぎて360度全方向から丸見えです。
そんなことを考えたせいでどんどんお腹が・・・
もう完全に戦いの火ぶたが切って落とされました。遠くでホラ貝吹いているやつがいる気すらする。
「出陣じゃー」って私の腸が息巻いてる。
戦というものはいつの世も始めるのは簡単。でも止めることは容易ではないものです。
私は考えました。この感じはもって5分。選択肢は1つしかない。
ここでする
一択問題でした。超イージー。
軍司
「神様は全てを包み込み、どんな罪も洗い流してくれる。右の頬を殴られたら左の頬を差し出せってくらい慈愛に満ちてる」
まあ、それはキリストなんですけど、私は一応人目につかなさそうな草むらに移動しました。
ティッシュの代わりになりそうないい感じの葉っぱもゲット。
「静まりたまえ!さぞかし名のある山の主と見受けたが、なぜそのように荒ぶるのか?」
うん。もし山の怒りに触れたときのセリフもバッチリです。もののけ姫がこんな時に役立つなんてスタジオジブリも腰を抜かすことでしょう。
ちなみにアシタカはこの後祟られます。
では、失礼して・・・
ズボンに手をかけた瞬間、ふとある事が頭をよぎりました。
「過去にお賽銭泥棒した人の家が全焼した」
おいおいおいおいおい。
お賽銭泥棒で家全焼ってことは、野グソは果たして?
「ちがうちがう!ちがいますよ神様!しないですよ。するわけないじゃないですか!」
私は急いでその場から離れ、完全にやったやつみたいな言い逃れをしつつ違う作戦を考えることに。
その間もお腹は合戦真っ只中。やいのやいのやってます。
いよいよ限界。
「ん?・・・焼きそばのパック?」
「ん?・・・持って帰ればいいのでは?」
そう、焼きそばのパックに入れて(して)持って帰れば罰が当たらないんじゃないか?というグッドアイデア賞。
名案なり!とんだ軍司がいたもんです!ゴミを持って帰るようにウンコも持って帰ればいいんです!
終戦
私はトイレ(草むら)に戻り、パックをセットしました。
青々と茂った草の上の焼きそばのパック・・・。
「透明すぎる」
クリアでいてこころもたない強度。家に着くまでどれほどの人の目に触れるのか・・・。見た人が一目で「ウンコ持ってる!」と、思わないとは思うけど・・・。
集落に入ったら間違いなく人目に触れるでしょう。
家までの帰り道に本家の前を通るのですが、そこは道路に面したとこに畑があり、いつもこの時間は農作業をしています。
久しぶりに帰ってきた別家の娘がウンコ持って歩いていたらどう思うだろう?しかも片方の手には飲み干した缶ビール。
私はお家断絶させるために里帰りしたわけじゃない。
一旦テイクアウト作戦は保留しました。
他にアイデアも出ず、とりあえず山頂に向かうことにしました。この一部始終を神様が見ていたとしたら一言お詫びしなければなりません。
山頂には思ったより早く着き、神社で手を合わせました。
「本当にごめんなさい。本当にごめんなさい」
いつも家族を見守ってくれていることのお礼をしに来たはずが、何これ。
でも不思議とこの瞬間からお腹の痛みが引いていきました。
偶然かもしれませんよ?でも、私にはやはり達子森には神様がいて、ずっと長年この地に暮らす人々の支えになってくれているんだと感じます。
優しく、時には叱ってくれるお母さんのような薬師様。これからもこの地の皆を見守って下さい。
今後の課題
そうして薬師様から許しをえた私は下山。無事に家に帰り着き、思う存分トイレを独り占めしました。
夜、窓から眺める達子森は、暗く静かで・・・まるで眠っているかのようです。
「懲りずにまた来ますね」そう、神様に告げてビールを飲みなおした比内町の夜でした。
今回も何とか危機を脱したわけですが、場所も状況も関係なく襲ってくる過敏性腸症候群。
「トイレがない」というだけでこんな目に遭ってたら、いつか本当に大変なことになる気がする。
まずは「不安にならないこと」これが大事!私の場合はトリガーがトイレなので、不安になるような場所に行くのはしばらく避けなければなりません。とは言え、トイレに行けない状況は山ほどあります。
「オムツ。なのか?」
完全に治るまで、私と過敏性腸症候群との戦いは続きます。
おしまい